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最高裁判所大法廷 昭和23年(れ)88号 判決 1948年6月23日

主文

本件上告を棄却する

理由

辯護人勅使河原直三郎上告趣意について。

原審公判調書によれば、原審において唐牛豐一、安齋徹、成田正吉の三名は證人として申請せられているが、石沢清作、草刈千代松の二名については所論とは異り證人申請は行われていない。又安齋徹に對する訊問事項は、屍體に文身があったか否か、若しあったとすれば文身のあった部分、その圖柄、模様等の詳細如何というにあった。唐牛、成田の二名に對する訊問事項は、全然記録中にないから知る由もない。しかし、記録中に綴られている辯論要旨と題する書面には、「所謂ナラズ者ニシテ全身ニ文身アリ。遲カレ早カレ疊ノ上ニテハ死ネヌ人物ナリ。遺骸ヲ引取ル親戚等ナク親分唐牛豐一ガ之ヲ引取リタル次第ナリ。」とあるから、唐牛に對しては恐らくこの點を訊問事項として申請したものであろうと思われる。そこで、憲法上、裁判所は、當事者から申請のあった證人は総て取調べなければならないかどうか、という問題について考えてみよう。まず事案に關係のないと認められる證人を調べることが不必要であるは勿論、事案に關係あるとしても其間おのずから輕重、親疎、濃淡、遠近、直接間接の差は存するのであるから、健全な合理性に反しない限り、裁判所は一般に自由裁量の範圍で適當に證人申請の取捨選擇をすることができると言わねばならぬ。所論の憲法第三七條第二項に、「刑事被告人は、公費で自己のために強制手續により證人を求める權利を有する」というのは、裁判所がその必要を認めて訊問を許可した證人について規定しているものと解すべきである。この規定を根據として、裁判所は被告人側の申請にかかる證人の総てを取調ぶべきだとする論旨には、到底賛同することができない。本件の筋は比較的に簡明で、犯行は極めて歴然としており、既に第一審では兇行現場の檢證が行われ、本件に最も重要な證人二名は訊問せられており、事件の全貌は被告人の供述と相まって原裁判所に明瞭に印象づけられ、殊に第一審判決が殺人罪を認定したにかかわらす原審は傷害致死罪を認定している點から推理すれば、原裁判所は當時既に事案に對する自由心證を形成することができていたから、前述のような文身の有無や遺骸の引取等についての證人申請は事案に必要なきものとして却下したものと考えることができる。又論旨の刑訴第一三五條は訓示規定であって、たとえこの規定に違反したとしても原判決を違法ならしめ上告を理由あらしめるものではない。しかのみならず、原審の態度は、前記のとおりであってむしろ親切であった位で毫も不親切と認むべき節は存在しない。されば、論旨は何れも理由がない。

よって、裁判所法第一〇條第一號、刑訴第四四六條に從い主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官全員の一致した意見であって、真野裁判官の起草したものである。

(裁判長裁判官 三淵忠彦 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 真野毅 裁判官 庄野理一 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介)

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